本当に勝てば官軍なの?

相場で儲けるのは商売と同じではない。
何故なら、ほとんどは投機的な資金で行われており、ほぼゼロサム取引である。
WikiPediaで粘着否定しようとなんだろうと、そうでなければ出入りが合わないので自明である。
従って、レバレッジの掛かった取引ではお金を取り合っているだけで、あまり経済効果はない。
あまり偉い事でもない。
それでは、長期投資はどうであろうか?
こちらはの方が良い印象があるし、事実、短期売買よりも社会的に良い部分が多いのだが、よく考えて見ると「転売してナンボ」と言うのが合理的な判断だろう。そうするとあまり大きな事も言えない。
ボランティアと同じと考えて、儲けを度外視すれば良いのだが、経営の悪い企業の株を紙屑になるまで保有したり、株主をコケにするような会社の株にしがみついて雀の涙ほどの配当をもらっているのが健全な投資家の態度と言えるのだろうか?
ボランティアなら、直接きちんとした団体に寄付したりすれば良いのではないだろうか?
と思ったら、フェアトレードなんて考えもあるので、ボランティアで保有していると言うのは塩漬けの言い訳にさえならなければアリとも言える。
とにかく、投資や投機で儲けたから偉いんだなんて事は絶対にない。

それなら、投資以外の普通の商売をして成功したなら偉いことなのか?
最近までそう思っていて、投資はやめて堅気の商売をしようと思っていたのだが、お金を沢山稼ぐのは悪い事では決してないが、何が何でも達成しなければならない尊いことではないと思うようになった。
何故か?結局はお金が動いて困る人も出てくるからだ。もちろん、プラスの方が絶対に多いと思うが、それ相当のマイナスもあるので、異常に金儲けに走るのはナンセンスだと思うようになった。
例えば、頑張って何かを安く大量生産できるようになったとしよう。そうすると、元々あった同じ製品の伝統工芸が廃れるし、環境破壊にもなる。安い工業製品は人々をしてその心身を堕落せしめる。
それと、経済的自由だとか言っている人がいる。人それぞれなので勝手にすれば良いと思うが、私はどうやらそれを求めている段階から卒業できそうだ。働かなくても良い金を持っている人は少ないし、実現するのは困難である。しかも、楽したいからと言うのが動機なのでは、矛盾している。
それよりは、職場で同じ仕事を来る日も来る日もやっていて、好きな時に休める訳でもない。
しかし、生活には困らずに仕事には誇りを持っている。
そういう生活の方が幸せなんだと思った。
通勤電車に揺られていくのが嫌だなどとずっと思っていたが、そう言う考えこそが癌だったと思った。日本中、ほとんどの人がまともに働いているが、それが嫌なんだったら、どこにいっても地獄だ。そんなことは断じてない。
現実から逃れる為に、色々と都合の良い事を妄想していたが、かえって苦しくなるばかりだった。
当然の義務を地獄と考える、それが地獄の始まりだった。
くだらない幼稚な考え、それを夢と呼ぼうがプラス思考と呼ぼうが、それを捨てるのが一番美しい生き方なのではないだろうか。
お金を儲けても(生活の蓄えは必要だが)幸せにはなれない。
人はいつか死ぬ。
老化もほんの少し遅らせたような気になれるだけ。
それならば、いっその事、お金や永遠の生命、老化のような野暮な事を一切気にせずに、縦横無尽に生きた方が良いのではないだろうか?
人のお金を奪う投資は果たして良い事なのか。
貯めたお金を運用する必要はあるのか。
確かにここの所ずっとデフレが続いているが、今後インフレになった時に蓄えが無くなってしまわないように運用するのは悪い事ではないようにも思える。
基本的に急激にインフレになるような国の物には投資しない方がよいのだが。
今後発展途上国のようなハイパーインフレに日本がなるとは思えないし、なってもインフレはいつかは収まる。
財産を守る事に汲々とする必要はない。常識的な対策を講じておいて、いくらかでも残れば御の字とすることだ。
インナーゲームと言う本がある。
著者によればスポーツで勝つ事がなどがアウターゲーム(自身の外側のゲーム)で、
自分に克つ事などがインナーゲームと言う。
お金儲けは究極のアウターゲームと言えるだろうか。
真剣に戦う事によって、勝敗を超えた価値ある何かを手に入れるとすれば、
商売でもなんでも励む事もそれほど悪くないと言う事になってしまったでは、ないか。