ボリンジャー博士の本

趣味で入門レベルの哲学書を読んだり、外国語を習ったりしているのだが、たまたまアマゾンで論理学の本を探していて、ついでに投資の本も見てみようとしていたところ、本の中身を一部見られるコーナーが「ボリンジャー・バンド入門」の所にあった。目次を見るとなかなか面白そう。
つぎに序章を見るとこれが実に面白い!哲学的なのである!アインシュタイン相対性理論ラッセルについて触れてあり、ふと、「私は一体なんの本を読んでいるのだろう?」と不思議な感覚に捉われた。
邦書だと、何だかんだ言っても、勝つか負けるかの世界なので、どうしても無味乾燥になるか、ギスギスするか、あるいは初心者向け等と偽善的になるか(資産運用だとか、経済の勉強だとか)、のいずれかが多いので、非常に驚いた。
投資で大失敗すると家まで取られるかもしれないと言う世界なのに、あのように教養たっぷりな著作ができると言うことは、やはり、市場や投資に対する考え方が向こうでは成熟していると感心した。一方、わが国は未だに、働き蜂指向、或いは、儲け至上主義で精神に余裕がないのではないか。
私は投資はヘタクソで、あまりお金をかけても無くすだけなので、もう辞めようかと言う感じになっているのですが、研究していくのはなかなか興味深いし、もしかしたらリアルに儲かるのかもしれない。
しかし、結果が辞めろといっているようにも思える。儲けるのには、本当に大変らしいことは解る。ザラバを見ないで儲けている人はいるのだろうか?私はかなり疑心暗鬼になっている。おそらく材料も念入りに調べて、張り付いて見ていなければならない、と私は考えている。それはそれは大変だろうと思う。そういう努力はしたくない。自分にはできない。
それに何らかの功績を残したとして、例えば、一目山人の一目均衡表の開発は本当に素晴らしいことだと思うが、実践では、勝つ人と負ける人しかない。社会が良くなると言うよりは、兵器の開発を行っているようなものではないだろうか。空売り裁定取引がそれらを経験したことのない市場で猛威を振るったようなものだ。
投資技術で本当に使えるものは人には教えないし、仮に、儲けている人が使っているのは極簡単なテクニックだけとすると、その結果は、その人の物凄い努力か才能、もしくは両方に依存することになる。
自分でも楽しく投資できたらいいと思っているのに、どうしてもできない。とりあえず今思っていることは、例えば、移動平均線で売買する単純なケースを考えるにせよ、色々と実践にあたっては、解決すべき問題が多々あり、儲かる局面と言うのが実はそんなにはないし、収支はかなり不安定である。それが不満なのかもしれない。それが嫌で、巷でよく耳にするデイトレードと言うのは、できる人とできない人がいる。
そんなに簡単には儲からないから面白いと言うのは解るが、そんなに努力するんだったら、もっと他に「良いこと」の為に努力したいと思ってしまう。その癖、「楽に儲けたい」とも思ってしまう。