態度が悪い事

いままでの自分の古い記録を見ていると、如何に自分と言う人間は態度が悪く、不熱心な怠け者であったかを思い知らされた。
日本では、直接言ってくれる人があまりいなかったが、外国人には、自分の小才を鼻にかけていて傲慢だとストレートに言われていた事を思い出していた。
向こうで就学していた時のレポートを見ると、字も汚く、文章も良く練られいない。
授業よりも自分で買った参考書を好んでいて、それを学校に持っていっていたりして、今考えれば顰蹙物だったろう。
それでいて、勉強もそれほどしていなかったので、思うような成績が取れなかったのももっともだった。
もちろん、日本にいた頃からこんな性格だったのだが、結局反抗期が遅れて出てきて、とうにおっさんになっている今まで引きずっている。
元服バンジージャンプなど大人になる為の儀式は世界中にあるが、精神的な向上と言うのは時間が過ぎても起こらないと言うことなのだろう。
精神的な傷は、時間が過ぎれば少しずつ癒えていくが、根本的にはその傷を生じた事実は変わっていないと言う意識は残る。
色々な事を体験し、社会の中でどうにか生き残っていかなければならないし、それが取るべき道であり、複雑な精神的問題に対する唯一の解決法なのだと思う。
努力できない、と言うのは論理的に破綻している考えであると思う。
努力をしない、と言うのが正しい。
人間は根本的に怠け者であって、努力をしている状態が異常であると考える。
しかるに、本やテレビなどのマスメディアによって「成功者」のイメージと、成功者にならなければ全てが失敗であるかのような考え方を、我々は擦り込まれているのである。
そうすると努力をしている状態が通常であるかのような錯覚を覚える。それは無理な相談だろう。
現実にどうなるかを考え、恐怖し、乗り越えようとする所に本当の努力があると信じる。
自分の置かれている立場を考え、現実的に観ると言った方がよいだろうか、そうしない限りいつまでも怠け続ける。
かといって悲壮感を煽るのは逆効果である。何故なら本当にそうはならないと自分で狡賢く計算しているから。
本当にそうなりそうな、どこにでもある現実、そういう非常につまらないがほぼ確実な現実、そう言ったものを勇気を持って見つめるところから本当の人生が始まる。