保合か、二番天井か。

日経平均株価のチャートです。

月足で見るとヒゲを上下にだしている。
週足で見ると、どうみても二番天井みたいに見えるんですよね。
日足で見ると、上値を切り下げて保ち合っている。

歴史的に長期間のチャートを見ていると、昨年末から相当騰がっており、
これ以上あげるなら、高度成長相場、バブル相場並みの規模の景気が必要だ。

世間の風評は、なんとか上がって欲しいというもの。
「今回はリーマンのときと違う」
「夏休みで相場参加者が少ない」
「消費税をめぐって様子見」
みたいな論調が多い。

どれも本当だけど、それだけでもないような気がする。
とりあえず、高値を買った人が含み損になっていて、
損切りを躊躇している状態。

かと言って、下げ渋っているので、売るのもしづらい。
で、なぜ下げ渋っているのかは不明だが、
やはり過熱感がそれほどないのと、景気の見通しが悪くないからだろう。
良い悪いといっても相対的なもので、
消費税を上げるには経済成長が不十分、だから、消費税見送りで景気がどうなるか?
でも、IMF や外人は財務基盤の安定を期待しているから云々と、
訳のわからないことを言っている。

経験測から、一つ考えられるのは、皆が思っている方と逆に動いたときには、大きいということだろう。
バブル景気では、月足で陰線になっても、また立ち直って高値を更新していっている。
リーマンショックのときは、月足で陰線になって、そのあと、ヨロヨロと戻って一応高値をいくらか抜いたが、
そこが天井になっている。
もっと小型の景気、たとえば、ITバブルなどは、当時は夢中で買っていたが、
いまチャートを見ると、月足で陰線になったあと、戻りもなく急落して終わっている。
これらからいえることは、部分的にチャートを見ていても、状況によって全く意味が変わってくるということ。
なので、意味も解らずデータを解析しても、役に立たない。

月足が陰線になるということは、一ヶ月に渡って株が売られ続けるということである。
そんな事態になると言うことは、それだけ人々が先行きに悲観しているということで、
実際、本当に相場が終わることもある。

なので、安いところを買うということは、並大抵のことではない。
あぁ、もうアベノミクスももう終わりだな。と完全に諦めたところで、
自分だけ違う意見を持って買わないといけない。

データだけみると、本当に終わることもあるような場所で、
それは、万人がデータを見ることで益々拍車がかかるところで、
否、否、と一人突進していく。

なーんて言っておいても、結局は「買い」たい弱気なので、
実は空売りしたほうがいいのかもしれない。

だから、チャートや、ニュース(材料)、なんてどっちとも取れるようにできているんですね。

このような考え方は、二項対立といえるが、
様々な葛藤、思想が「売り、買い」の「行動」(判断ではない)に凝縮されて、
罫線上に現れるのは、それほど単純なことではない。

だから、「天然自然の理」と言われる。
新しい理屈を捏ねて、自然を批判して見たところで、
実際は、己が損したら、なんの意味も無いのである。
自然に降参せよ。
その己の集合体が相場なのだから、
このような考え方は自然主義的であるとも言える。

例えば、ある景気が、初期、中期、末期に分かれて、
罫線があるパターンを描くとする。
これは、一つの構造である。
その中に、急騰、閑散、保合などの要素がある。

一方で、必ずこのようなパターンになると考えると、むしろそれが破綻してしまう。
つまり、そのような認識が一定程度以上の仕手に現れると、
集合体としての相場が壊れる。
このような脱構築を適宜行っていかなければならない。

これは、構造単位内での計算可能性を否定するものであるからである。