相場

相場、市場、なんと言っても良いが、人が相よってリスクを投げ合う場である。
例え、一対一であっても、駆け引きの余地が生まれれば、予想するのは難しいが、
群集心理ともなると、低次元の線形的な論理で完全に予想することは不可能であろう。

ただし、それは数学的な厳密さ(それは、現実と乖離した論理の世界である)を求めているからそうなるのであって、
全く理論的なものが通用しないではない。

それを単にある人は確率的に優位性がある、などと言うと気が済む。
(厳密にいうと間違っている)
つまり、考え方の問題であるといえる。

ある、一時点、とりあえず点としたが、それを過去に観測及び評価可能な点とする。
それから、もう一つのある観測及び評価可能な点を考慮の対象としてみよう。
これが、連続的、あるいは、非連続的に、関連付けられるとすると、
それは、ある軸にそって変化したといえる。
そもそも、その軸を考えることが、上に述べた意味での変化などを認識するという行為であると思える。

しかし、そこで、私は、どのようにしてその変化が起こったかを知ることができない。
甲から乙になる仮定で丙があったには違いないのだが、それを直接認識することは不可能である。
なぜなら、いま甲と乙の比較のみ考えているからである。
間に何があるのか、はっきりと認識できないのである。
これは無限に規則正しくならんだ、数列などといった空想の世界とは全くことなるものである。
きっと、何かがあったのだろうと思う。だが、事象自体が相互依存してしまっていて、はっきりと分けることができない。
だからこそ、二点を考えたのではなかったのか。
過去の二点ですら、そうであるのに、どうして不確定な未来の一点を予測することができるだろうか?

株価でいうと、ある材料があって、それが徐々に株価に反映されるのが、上げ(下げも)相場であるとしよう。
相場では底の次の瞬間に天井になるということはない。
なぜなら、底というのは、「後で底だと認識できたから底」なのであって、定義の問題である。
これは紛らわしいが常に留意しておかなければならない。
つまり、底だと思っても、さらに下値があれば、それは底ではないということになってしまうのである。
これは基本的な問題であるが、株価を予測する際には、その底と言う認識の問題と、
散々述べた非常に不安定な中間という問題にぶちあたるのである。

商品取引でいえば、サヤがコンタンゴからネガティブ・スプレッドに変わる際に、
中物が安くなる「オカメ鞘」(ここだけ旧式な呼び方であるが・・・)になることがあるが、
それが必ず起こるともいえず、なったとしてもどうしてそうなったのか、は後になってからはじめて理由付けできるものである。

また相場を波動やエネルギーで捉える考え方もある。
ある意味、これもオカルトというか、はっきりと理由を説明できないのだが、
波動が重なり合って大きくなる具合や、人為的な売買で周期が崩れると考えることもでき、
確かにオカルトなのだが、それでうまくいっている人もいる。
(インチキ情報にだまされるとか、それは別の問題だ)

現実に戻って、優位性を自分が納得できるかどうかがポイントだと思う。
例えば、パレートの法則を応用して、少数派が常に勝つと仮定すれば、
多くの負けている人の逆を張ればよいということになる。
すると、雲をつかむような相場の分析の仕方もできてくる。

パレートの法則云々は、単なる数字の論理の後付で現実からやや乖離しているのだが、
それでも現実の相場で活用できる考え方といえる。
もう一歩実際的な考え方の例として、相場はリスクの投げあいの場であるから、
平均を取っていれば、保険の売り手と同じような効果で得になるというものだ。
これが江戸時代のある相場書にあるのだから、驚くべきことだ。
ただし、実行の方法、ノウハウが問題となる。

不明な原則のような何か、が相場に具に現れた。
明らかになったものは、明らかでなくなる。
兎に角も、玄妙な「わからない、明らかでない」ということが、源泉なのであった。